桂宮殿下のご薨去を受け、皇族方が喪に服されました。
8日付の朝日新聞によると服喪期間は以下のようになっています。
内廷皇族:5日間
宮家 :5日間
三笠宮両殿下:30日
寛仁親王妃信子様、高円宮妃久子様:5日間
三笠宮彬子様・瑤子様、高円宮承子様・典子様・絢子様:7日間
(朝日新聞デジタル 2014年6月8日 20時2分配信 参照)
皇族の服喪期間がどのようにして決められるのかはわかりませんが
かつて明治42年に発令された皇室令第12号に「皇室服喪令」があり、
この令に基づいて皇族の服喪期間が定められていました。
この皇室令は日本国憲法施行に伴い廃止されましたが
現在でも拠り所にしている部分があるようです。
皇室服喪令(明治42年皇室令第12号)
(中野文庫より)
8日付の朝日新聞によると服喪期間は以下のようになっています。
内廷皇族:5日間
宮家 :5日間
三笠宮両殿下:30日
寛仁親王妃信子様、高円宮妃久子様:5日間
三笠宮彬子様・瑤子様、高円宮承子様・典子様・絢子様:7日間
(朝日新聞デジタル 2014年6月8日 20時2分配信 参照)
皇族の服喪期間がどのようにして決められるのかはわかりませんが
かつて明治42年に発令された皇室令第12号に「皇室服喪令」があり、
この令に基づいて皇族の服喪期間が定められていました。
この皇室令は日本国憲法施行に伴い廃止されましたが
現在でも拠り所にしている部分があるようです。
皇室服喪令(明治42年皇室令第12号)
(中野文庫より)
美智子様は8日の午後、「前橋汀子アフタヌーン・コンサートVol.10」を
ご鑑賞する予定になっていましたが
服喪に伴い、6月8日のお出ましは取りやめになりました。
(msn産経ニュース 2014年6月9日 15時配信より)
ところが次の日の9日、両陛下が「除喪」して
障害児団体50年大会に出席したことがニュースになっていました。
両殿下、障害児団体50年大会に 「除喪」し出席(共同通信)
「全国重症心身障害児(者)を守る会」の創立50周年記念大会に出席された天皇、皇后両陛下=9日午前、東京都内のホテル
共同ニュース 2014年6月9日 12時56分配信
桂宮様がお隠れになった次の日に、従兄弟である天皇陛下が
純白の衣装をつけた皇后様といっしょに
晴れやかな席にお出ましになった姿に軽いショックを覚えました。
そして同時に「除喪」という慣習を知りました。
ネットで調べてみたところ、一般的には服喪期間を終え、
喪服を脱ぐことを「除喪」と呼びますが、神道では
『“忌中時においても役職等で祭礼に参加しなければならない場合、
結婚式等へ参拝する場合は神社にて「除喪のお祓い」を受け”ることができる』
(北方八幡宮「神社の豆知識」より)とあり、
服喪中に祭礼に参加する必要がある場合などに
一時的に喪を外すことを「除喪」と呼ぶようです。
先に挙げた皇室服喪令の第一章「総則」の第十七条に
特別ノ事由ノ為除喪スルハ臨時ノ勅定ニ依ル という規定があり、
かつては
『特別の事情がある場合、天皇の命により臨時に除喪することができる』
ことになっていたのだそうです。
ちなみにいつ誰が除喪の手続きをとったのかは、
官報の「皇室事情」に記載されており、
明治16年(1883)から日本国憲法施行前の昭和27年(1952)までの官報は
「国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp)」で公開されています。
昭和天皇と香淳皇后もかつて除喪されていました。
1947年以前の官報に記載がある除喪の事例は
両陛下を除いた皇族や宮内省の職員が申し出たケースしかありませんでした。
ちなみに昭和天皇のお母様である貞明皇后が薨去されたのは1951年の5月で
皇室服喪令により1年間の喪に服すことになりました。
昭和天皇が除喪の手続きをとられたのは3ヵ月後の8月、国会開会式のときでした。
そしてこのたびの桂宮様ご薨去に伴う除喪ですが、
両陛下は桂宮がお隠れになられた翌日と3日後の11日の2回、除喪されています。
5日間に2回の除喪・・・。
9日の式典出席に関しては、重度の障害児(者)を守る人々のための式典ですので
車椅子に座りながら公務を続けられた桂宮様のお心に寄り添っていると言えますが
3日後の葉山で静養しつつ、「ワインのグラス」を片手に
「歓談」している姿には思いっきり違和感を感じました。
「両陛下、葉山で静養=海外若手研究者と歓談」
両陛下は到着後、同町の湘南国際村センターで開催された欧米の若手研究者を歓迎するレセプションに出席し、グラスを片手に歓談した。桂宮さまが8日に亡くなったため両陛下は服喪中だが、一時的に喪を外す「除喪」の手続きをした。
時事ドットコム 2014年6月11日 18時29分配信
海外の若手研究者と歓談される天皇陛下=11日午後、神奈川県葉山町の湘南国際村センター(代表撮影)
http://www.jiji.com/news/kiji_photos/0140611at65_p.jpg
12日付けの朝日新聞デジタルでは、はっきりと
「ワインを手にしながら、リラックスした表情で歓談」と報道されています。
「両陛下、葉山で静養」
天皇、皇后両陛下は11日、静養のため、神奈川県葉山町の葉山御用邸に入った。13日に帰京する。当初は15日まで滞在予定だったが、桂宮さまの逝去に伴って日程が変更された。
この日午後、両陛下は同町にある湘南国際村センターを訪問した。欧米6カ国の若手研究者らを歓迎するレセプションに出席。ワインを手にしながら、リラックスした表情で懇談していた。
朝日新聞デジタル 2014年6月12日 1時1分配信
色々な思いが沸き起こる今日この頃です。
ご鑑賞する予定になっていましたが
服喪に伴い、6月8日のお出ましは取りやめになりました。
(msn産経ニュース 2014年6月9日 15時配信より)
ところが次の日の9日、両陛下が「除喪」して
障害児団体50年大会に出席したことがニュースになっていました。
両殿下、障害児団体50年大会に 「除喪」し出席(共同通信)
「全国重症心身障害児(者)を守る会」の創立50周年記念大会に出席された天皇、皇后両陛下=9日午前、東京都内のホテル
共同ニュース 2014年6月9日 12時56分配信
桂宮様がお隠れになった次の日に、従兄弟である天皇陛下が
純白の衣装をつけた皇后様といっしょに
晴れやかな席にお出ましになった姿に軽いショックを覚えました。
そして同時に「除喪」という慣習を知りました。
ネットで調べてみたところ、一般的には服喪期間を終え、
喪服を脱ぐことを「除喪」と呼びますが、神道では
『“忌中時においても役職等で祭礼に参加しなければならない場合、
結婚式等へ参拝する場合は神社にて「除喪のお祓い」を受け”ることができる』
(北方八幡宮「神社の豆知識」より)とあり、
服喪中に祭礼に参加する必要がある場合などに
一時的に喪を外すことを「除喪」と呼ぶようです。
先に挙げた皇室服喪令の第一章「総則」の第十七条に
特別ノ事由ノ為除喪スルハ臨時ノ勅定ニ依ル という規定があり、
かつては
『特別の事情がある場合、天皇の命により臨時に除喪することができる』
ことになっていたのだそうです。
ちなみにいつ誰が除喪の手続きをとったのかは、
官報の「皇室事情」に記載されており、
明治16年(1883)から日本国憲法施行前の昭和27年(1952)までの官報は
「国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp)」で公開されています。
昭和天皇と香淳皇后もかつて除喪されていました。
官報発布日 | 行幸・行啓先 | 除喪日 | |
1947
年1月23日 |
良子皇后 | 日本赤十字社 | 1月21日 |
1947年3月1日 | 良子皇后 | 御誕辰 | 3月6日 |
1947年3月24日 | 良子皇后 | 女子学習院卒業式 | 3月21日 |
1951年8月16日 | 昭和天皇 | 国会開会式 | 8月16日 |
1951年10月10日 | 両陛下 | 社会事業ご視察 | 10月10日 |
1951年10月11日 | 昭和天皇 | 国会開会式 | 10月11日 |
1951年10月19日 | 昭和天皇 | 国立博物館 | 10月19日 |
1951年10月24日 | 昭和天皇 | 第6回国体・広島 | 10月25~29日 |
1951年11月6日 | 昭和天皇 | 国立国会図書館 | 11月7日 |
1951年11月7日 | 昭和天皇 | 全国社会福祉事業大会 | 11月8日 |
1951年11月9日 | 昭和天皇 | 近畿四府県 | 11月11~25日 |
1951年12月4日 | 昭和天皇 | 千代田区立番町小学校 創立80周年記念式 |
12月4日 |
1952年1月22日 | 昭和天皇 | 第13回国会開会式 | 1月22日 |
1952年3月26日 | 昭和天皇 | 学習院卒業式 | 3月26日 |
1952年4月4日 | 昭和天皇 | 植樹祭 | 4月4日 |
1947年以前の官報に記載がある除喪の事例は
両陛下を除いた皇族や宮内省の職員が申し出たケースしかありませんでした。
ちなみに昭和天皇のお母様である貞明皇后が薨去されたのは1951年の5月で
皇室服喪令により1年間の喪に服すことになりました。
昭和天皇が除喪の手続きをとられたのは3ヵ月後の8月、国会開会式のときでした。
そしてこのたびの桂宮様ご薨去に伴う除喪ですが、
両陛下は桂宮がお隠れになられた翌日と3日後の11日の2回、除喪されています。
5日間に2回の除喪・・・。
9日の式典出席に関しては、重度の障害児(者)を守る人々のための式典ですので
車椅子に座りながら公務を続けられた桂宮様のお心に寄り添っていると言えますが
3日後の葉山で静養しつつ、「ワインのグラス」を片手に
「歓談」している姿には思いっきり違和感を感じました。
「両陛下、葉山で静養=海外若手研究者と歓談」
両陛下は到着後、同町の湘南国際村センターで開催された欧米の若手研究者を歓迎するレセプションに出席し、グラスを片手に歓談した。桂宮さまが8日に亡くなったため両陛下は服喪中だが、一時的に喪を外す「除喪」の手続きをした。
時事ドットコム 2014年6月11日 18時29分配信
海外の若手研究者と歓談される天皇陛下=11日午後、神奈川県葉山町の湘南国際村センター(代表撮影)
http://www.jiji.com/news/kiji_photos/0140611at65_p.jpg
12日付けの朝日新聞デジタルでは、はっきりと
「ワインを手にしながら、リラックスした表情で歓談」と報道されています。
「両陛下、葉山で静養」
天皇、皇后両陛下は11日、静養のため、神奈川県葉山町の葉山御用邸に入った。13日に帰京する。当初は15日まで滞在予定だったが、桂宮さまの逝去に伴って日程が変更された。
この日午後、両陛下は同町にある湘南国際村センターを訪問した。欧米6カ国の若手研究者らを歓迎するレセプションに出席。ワインを手にしながら、リラックスした表情で懇談していた。
朝日新聞デジタル 2014年6月12日 1時1分配信
色々な思いが沸き起こる今日この頃です。