8日、9日の両日、皇族の方々が弔問のため、宮邸を訪れました。
弔問に訪れた方々の写真を見ていて違和感を感じたところがありました。

先の記事で書いたように時系列がずれているとは思いますが、
皇族方のお写真を拾ってみました。
一番に駆けつけられた三笠宮両殿下です。
三笠宮様はグレーのスーツ、百合子様は黒のスーツをお召しのようです。
3名のお子様を亡くされ、悲しみに浸っているときも
カーテンを開け続けなければならないのでしょうか・・・。

「桂宮邸を出られる三笠宮ご夫妻」
時事ドットコム フォトニュース  (2014年06月08日 配信)

桂宮邸を出られる三笠宮ご夫妻
弔問を終え、桂宮邸を出られる三笠宮ご夫妻=8日午後、東京都千代田区 【時事通信社】

久子様は喪服にジェット、この写真だとよくわかりませんが
手袋をされているようです。

「桂宮邸に入られる高円宮久子さま」
時事ドットコム フォトニュース  (2014年06月08日 配信)

桂宮邸に入られる高円宮妃久子さま
弔問のため桂宮邸に入られる義妹の高円宮妃久子さま=8日午後、東京都千代田区【時事通信社】

両陛下は黒のスーツ、天皇陛下は喪章、皇后は手袋、扇子をお持ちですが
着帽はされていません。

「桂宮さま逝去:両陛下らが弔問」
毎日新聞 2014年06月08日 19時22分(最終更新 06月08日 23時45分)配信

弔問を終え、桂宮邸を出る天皇、皇后両陛下=東京都千代田区で2014年6月8日、武市公孝撮影

東宮家も両陛下とほぼ同様のお姿で、皇太子殿下も黒のスーツに喪章、
雅子様は黒のスーツに手袋、扇子をお持ちですが着帽されています。

弔問を終え、桂宮邸を出る皇太子ご夫妻=東京都千代田区で2014年6月8日、武市公孝撮影(毎日新聞)

秋篠宮家は母:グレーのツーピース、長男:黒スーツ、長女:グレーのスーツ
手袋は持っていますが、はめていません。

弔問を終え、桂宮邸を出る秋篠宮妃紀子さま、悠仁さま、眞子さま=東京都千代田区で2014年6月8日、武市公孝撮影

次女:黒のスーツ、ここには写っていませんが、鯰殿下は黒スーツでした。

弔問を終え、桂宮邸を出る眞子さま、佳子さま=東京都千代田区で2014年6月8日、武市公孝撮影

彬子様と瑤子様も黒のスーツです。

桂宮邸を後にする彬子さまと瑶子さま=東京都千代田区で2014年6月8日、西本勝撮影

常陸宮様は濃紺のスーツ、華子様は紺のスーツですね。
(恐らくフラッシュで色が多少白っぽくなって写っている模様)

「桂宮邸に入られる常陸宮ご夫妻」
時事ドットコム フォトニュース  (2014年06月08日 配信)


弔問のため桂宮邸に入られる常陸宮ご夫妻=8日午後、東京都千代田区 【時事通信社】

信子様は一夜明けてからご弔問されました。
久子様と同じく、喪服にベールつき帽子を着帽、
アクセサリーはジェットでまとめられていました。

「両陛下、喪を外して記念式典に出席」
日テレNEWS 24 6月9日 14時20分配信より動画キャプション(00:18秒)




写真を見ていて一番驚いたのは、筆頭宮家の女性陣が
レザーバッグとレザーの手袋を持っていたことです。
殺生を思い起こすような革製品は
このような場所に持ってこないのが常識だと思っていたので、
皇族が革製品!?と、かなりびっくりしました。

そしてまだ7歳のご長男が、桂宮様の弔問に来ていたのにも驚きました。
生前よく可愛がってくれた、よくいっしょに遊んでいたなど
故人と親しい関係にある場合は別として、
こういった弔問のような場に子どもを連れて行くことはあまりないはずです。
ましてや3人もいた男子が全員早逝してしまった三笠宮両殿下の前に
子どもとはいえ男子を連れて行く、その心臓が信じられません。

私が住んでいる地域では、弔問客をお迎えする側でない限り
子どもを弔問の場に連れて行くことはありません。
ちょっと迷信がかった話になりますが、
まだ魂が安定していない小さな子どもは
「あちらの世界」に連れて行かれやすいからだそうです。
本葬でも、よっぽど親しい間柄でなければ
小さい子どもは列席させないのが普通です。

ニュースの映像を見ていても、宮邸に入るときも頭を下げるわけでもなく
じっとご案内の係の方の顔を凝視していた悠仁さん。
何が起こったのかよくわからないままに連れて来られてしまったようです。

そしてお母さんと上のお姉さんはは略礼装なのに、
小学生の子どもに黒のスーツが用意してあったのにも違和感を感じました。
まるで早くから準備して待ち構えていたようで・・・。
通学しているお茶の水附属小学校には制服があるのですから、
制服着用でいいはずなのに。

レザーのバッグと手袋を持った女性陣に「革製品はお持ちにならない方が」とか
「まだお小さい親王をお連れにならない方がよいのでは」とか
「小学生は制服でよろしいのではないでしょうか」など、
進言する職員は筆頭宮家にはいなかったのでしょうか。